关于梦的日本谚语
1.有关理想的日语名言
蒙古的马的谚语/名言多,写日本的名言/谚语就离不开鱼了。
以下的都很有名
秋サバは嫁に食わすな
サバは秋には脂がのって美味になります。嫁に食わせるのは惜しい、という姑の根性を云ったもの。亭主は辛いですね(^▽^)
イワシ七度洗えばタイの味
イワシは脂肪が多く生臭い大众鱼ですが、よく洗って生臭味をおとせば、鲷并に美味しい鱼だという意味です。
イワシの头も信心から
昔は节分の日に、ヒイラギの叶とともにイワシの头を门口に刺し、魔よけにする风习がありました。転じてつまらないものでも、信心次第では値打ちがあるということです。
鱼の目に水见えず、人の目に空见えず
普段身近にあるものは、どんなに大切なものでもその価値がわかりにくいということ。
要翻译的话请加分。^^;
2.有关理想的日语名言
世界で最も楽しい事、理想のために奋闘することに胜るものはありません。
もし人の活动は理想的な鼓舞がないならば、空白がちっぽけですようになります。
私がむしろしてもよくて人类の中に梦想の愿望の、最もちっぽけな人を完成することが梦想してあることがあって、ひとつしたくないのが最も伟大です、梦想がありません、愿望の人がありません。
私达の理想、どのようですかに関わらず、すべて未来に属します。
一回失败するためただ要らないだけ、あなたがもとは决して达成する目的を心の中で考えることを放弃します。
生活は航海のようで罗针盘がない目标がありません。
就找到这些了
3.关于梦的名言,至少10条以上
圭亚那印地安人认为,梦中的人是暂时离开肉体的灵魂。
古印度人认为,梦和现实世界没有本质区别。
做梦是学习的重要环节——哈佛大学心理学教授史迪高
梦是心灵的思想,是我们的秘密真情——杜鲁门·卡波特
梦境是现实的反面——伟格利
神话是众人的梦,梦是私人的神话——坎伯
人在学习时得到启蒙,但在睡眠时得到灵感——古罗马西彼拉占语集
神话和梦都是以相同的象征语言写成的——弗洛姆
噩梦很可能是疾病的预兆——亚里斯多德曾预言
弗洛依德:梦不是一种躯体现象,而是一种心理现象。梦是一种愿望达成,它可以算是一种清醒状态精神活动的延续。梦,并不是空穴来风,不是无意义的,不是荒诞的,也不是一部分意识昏睡,而只有少部分乍睡还醒的产物,它完全是有意义的精神现象。
荣格:梦无所遮蔽,我们只是不理解它的语言罢了。梦给我们展示的是未加修饰的自然的真理梦是无意识心灵自发的和没有扭曲的产物梦是启迪,是人潜意识在努力使整个心灵更趋于和谐、合理。大多数危机都有一个很长的潜伏期,只是意识觉察不到而已。梦能够泄露这一秘密。
设我为最佳答案哦
4.有趣的日本谚语
有很多日语谚语源自汉语,甚至是汉语直接翻译而成的,其中的含义也是和汉语一致的,中国人一看就懂。
举几个例子,比如「百闻(ひゃくふん)は一见(いっけん)に如(い)かず」,就是“百闻不如一见”;「光阴(こういん)矢(や)の如(ごと)し」就是“光阴似箭”;「一年(いちねん)の计(けい)は元旦(がんたん)にあり」就是“一年之计在于春”;「子(こ)を知(し)ること父(ちち)に如(い)くはなく」就是“知子莫若父”;「千里(せんり)の堤(つつみ)も蚁(あり)の穴(あな)から」就是“千里之堤,溃于蚁穴”;「千里(せんり)の道(みち)も一歩(いっぽ)より起(お)こる」就是“千里之行,始于足下”。怎么样,真的是和汉语一模一样吧。
下面再举一些好玩的谚语的例子,它们是日本人民在日常生活中形成的,富有日本土地上的生活气息,它的含义就要略加解释才能明白。还是举些例子,学日语的朋友可能对下面两个谚语不陌生,很多老师都会在课堂上提起:「猫(ねこ)に小判(こばん)」,「小判」是日本古代的一种钱币,很值钱,在这里「に」是给与的意思,把「小判」给猫,猫是不懂的,对它来说毫无价值和意义,所以这句话就是“对牛弹琴”或者“投珠与猪”的意思;还有一个谚语也是挺常见的——「高岭(たかね)の花(はな)」,开在高高的山岭上的花朵,开得很好看,但是只能看见却够不着,表示一种“高高在上,可望而不可及”的意思,日剧中那些出身普通的男青年,看到那些家世显赫的名门闺秀,就经常会用这句话来表示差距太大。
「大根(だいこん)を正宗(まさむね)で切(き)るなかれ」,「大根」是萝卜,「正宗」是日本历史上一个著名的刀匠,铸造了许多武士用的名刀,「なかれ」是“不要……做”“切勿”的意思,也就是说“切萝卜不必使用高级的武士配刀”,就是“大材小用”的意思,基本对应汉语中的“宰鸡焉用牛刀”,还是比较形象的吧。「爪(つめ)の垢(あか)ほど」,「爪」是“指甲“的意思,「垢」是“污垢”,这个谚语形容的是“少”这个概念,少得就像指甲里的污垢那么可怜,还是挺有意思的,可以翻译成“微乎其微”、“一星半点”或者直译为“少得可怜”,还有一个形容“少”的的词,叫「雀(すすめ)の涙(なみだ)」,麻雀本身就很小,麻雀的眼泪就更少了。
最后举两个风花雪月的,呵呵。「朝颜(あさがお)の花(はな)一时(いちじ)」,「朝颜」是“牵牛花”,夏天早晨牵牛花早早开放,但是太阳一出来就很快就谢了,就是“美丽的事物总是短暂的”的意思,近似于“昙花一现”;「月(つき)に群云(むらくも)、花(はな)に风(かぜ)」,月有群云遮,花有微风摧,美好的事物总有缺憾,事事完美总是难求,可以对应“好事多磨”,仿佛与苏轼的“月有阴晴圆缺,人有悲欢离合,此事古难全”有着异曲同工之妙。
5.日本的谚语
鲸饮马食(げいいんばしょく):能吃能喝
形影相怜れむ(けいえいあいあわれむ):形影相吊
圭角が取れる(けいかくがとれる):磨去棱角
计画は人にあり、成败は天にあり(けいかくはひとにあり、せいはいはてんにあり):谋事在人,成事在天
芸が细かい(げいがこまかい):极为精湛;滴水不漏;无懈可撃;天衣无缝
芸がない(げいがない):不学无术;没有本事
芸が身を助ける(げいがみをたすける):身有一技之长,不愁隔宿之粮
桂玉の艰(けいぎょくのかん):米珠薪桂
鶏群の一鹤(けいぐんのいっかく):鹤立鶏群
鶏口となるも牛后となるなかれ(けいこうとなるもぎゅうこうとなるなかれ):宁为鶏口,不为牛后
敬して远ざく(けいしてとおざく):敬而远之
芸术は长く人生は短し(げいじゅつはながくじんせいはみじかし):人生有限,技芸千秋
警钟を乱打する(けいしょうをらんだする):猛敲警钟,唤醒世人
倾城买の草鞋はかず(けいせいかいのわらじはかず):大処不算小処算
倾城に诚なし(けいせいにまことなし):歓楽场中没真话
蛍雪の功を积む(けいせつのこうをつむ):刻苦用功
兄たり难く弟たり难し(けいたりがたくていたりがたし):难兄难弟
兄弟は手足たり(けいていはしゅそくたり):兄弟如手足
刑は軽きを厌わず(けいはかるきをいとわず):刑不厌軽
苦あれば楽あり(くあればらくあり):苦尽甘来
食い下がる(くいさがる):咬住不松口;不肯罢休
株を守る(くいぜをまもる):守株待兔
食い倒す(くいたおす):白吃;吃穷
食い散らす(くいちらす):这吃点,那吃点;做一点这个,干一点那个
食いつぶす(くいつぶす):坐吃山空
食い外す(くいはずす):丧失糊口之道;失掉得利的机会
気合いが入る(きあいがはいる):鼓起干劲
気合が悪い(きあいがわるい):情绪不好;性情不好
利いた风(きいたふう):自命不凡
生一本(きいっぼん):真情実意
闻いた千金见て一文(きいたせんきんみていちもん):看景不如听景
闻いて极楽见て地狱(きいてごくらくみてじごく):听来是天堂,一见是地狱
気炎を上げる(きえんをあげる):大吹大擂,夸夸其谈;大放厥词;扬眉吐气
饲い犬に手をかまれる(かいいぬにてをかまれる):养疡遗患
老い木に花が咲く(おいきにはながさく):枯木开花
追い込みをかける(おいこみをかける):作最后努力
おいしくて頬っべたが落ちそう(おいしくてほっべたがおちそう):好吃极了
追い立てを食う(おいたてをくう):被人赶走
老いたる马は道を忘れず(おいたるうまはみちをわすれず):老马识途
老いて妬妇の功を知る(おいてとふのこうをしる):妻子好坏到老方知
栄华あれば必ず憔悴あり(えいかあればかならずしょうすいあり):有盛必有衰
酔覚めの水下户知らず(えいざめのみずけこしらず):酸后方知冷水甜
英雄人を欺く(えいゆうひとをあざむく):自古英雄多欺人
英雄人を忌む(えいゆうひとをいむ):英雄最怕有英雄
会者定离(えしゃじょうり):有聚必有散